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神様がいる場所



 神様、どうかわたしを助けてください。

 学校は嫌いだ。
 別に、すごく勉強ができないとかそういうことじゃない。さして秀才というわけじゃないけれど、どちらかと言えばむしろわたしは勉強は好きなほうだと思う。学校がすべてただ勉強する時間のみで構成されていれば良いのにとすら最近は思う。
 いま、わたしがいやなのは、休み時間だ。
 朝、授業と授業の間の十分ずつの休憩、昼休み…拘束されていない時間が長いほど耐えられない。
 最近のわたしはわざと遅くに家を出て、遅刻ぎりぎりに教室へ入る。それでも、先生がやってくるまでの僅かな時間は苦痛だ。
 ざわざわと騒がしい教室内。男子も女子も、皆楽しそうにおしゃべりをしている。一つの机に何人かで集まって、机の上に座ったりして、話をする。誰でも、まいにち、絶対にする。ざわ、ざわ、ざわ。その声が。
 ―――みんなわたしを笑っているように聞こえる。
 頭では、そんなことないって解ってる。ほんとうは誰もわたしのことなんか見ていない。頭では、理性では解っているのに、なぜだかわたしは一人で緊張してしまう。笑われている、という感覚から逃げ出せない。鞄から教科書を出す手が震える。それが不自然な、滑稽な動作になっているんじゃないかと気になってしまってわたしはまた緊張する。かぁっと顔が熱くなる。
 それでもなんとか教科書を出し終えて鞄を机の横に掛けると、今度こそわたしは途方に暮れる。すぐに先生が来るといい。でも担任の中里先生は時間にルーズなので朝は遅い。先生が来るまでの間、誰かと話をしなくてはいけない。わたしは仕方なく立ち上がる。
 一人でいるわけにはいかない。いや、いかないことはないのかもしれない。現に、転入生の天草百合子などは一人でぼーっと窓の外を見ている。けれど、わたしには耐えられない。ああはなりたくない。
「おはよう」
 わたしは勇気を出して、みちるちゃんに話し掛けてみた。
 笑顔を忘れずに。
「あ、おはよー、ルミちゃん」
 みちるちゃんが笑いかけてくれたので、わたしはほっとした。やっぱり、みんながわたしを笑っているなんていうのは妄想だ。
 それでも、それまでみちるちゃんと話していた悦子ちゃんや真紀ちゃんが私の闖入を快く思ってないんじゃないかとか、ほんとうはみちるちゃんも迷惑なんじゃないかとか、わたしのあたまの中にはぐるぐるとそんな考えが浮かんでくる。
 大丈夫。大丈夫。そんなことを気にしてるのがばれたら、余計に嫌われる。気にしてないふりをしなくっちゃ。
 良い天気だねとか、今日の数学嫌だねとかくだらないことを少し話していると、がらりと扉が開いて中里先生が入ってきた。
「はい、ホームルームするぞー。席に付いて」
 中里先生は女だけど男みたいな喋り方をする。皆ががたがたと慌てて席につくのに紛れて、わたしは自分の席に逃げ帰った。
 救われた。
「テストの時間割が決まりました。後ろ貼っとくから見るように。それから…」
 けれどしばらく中里先生の話を聞いていたら、途端にさっきのことが心配になってきた。
 先生が来たとき、わたしみちるちゃんにじゃあねって言ったっけ?言ってない気がする。きっと言ってない。どうしよう。先生が来た途端、逃げるみたいに戻ってきてしまった。勝手に話し掛けておいて、先生がきたら挨拶もせずに戻って、みちるちゃん気を悪くしなかっただろうか。
 気になる。どうしよう。あとで謝ろうか、でもいちいちそんなことで謝るのって余計変じゃないかな?気にしないほうが良いんだろうか。でも、都合の良いヤツだって思われたら。大体、初めからわたしはみちるちゃんのグループじゃないんだし。なんとか混ぜて貰ってるようなもんなんだから、少しでも気を悪くされるようなことは避けたほうが良いかもしんない。でも今更謝るのって不自然で、卑屈で、余計嫌われるかも。どうしよう。
 ぐるぐるとわたしは悩む。散々悩んだあと、誰もわたしのことなんか気にしてない、大丈夫、と思うことでなんとか自分を納得させた。中里先生の話は途中からまったく耳に入らなくなった。気が付くともう、数学の永井先生が教壇に立っている。
 隣の席で、高梨君はそ知らぬ顔をして教科書を開いている。眩暈がした。もう帰りたい。

 どうしてこんなふうになっちゃったんだろうか。少し前までは、学校が楽しくてしかたがなかったのに。
 勉強も嫌いではないけれどそれ以上に休み時間が好きだったし、ともだちと遊ぶ放課後が待ち遠しかった。
 ともだち。わたしの友達が消えてしまったのは、もう一ヶ月くらい前のことだ。その日一日で、いや、一瞬で、学校はわたしにとって敵地になってしまった。ひとときも気が休まらない。かつてともだちだった子たちは、いつでもわたしを嘲笑しようと待ち構えている。ずっと。ひそひそと笑いながら。これだけは妄想ではない。
 わたしは麻衣子ちゃんのグループの、二番目だった。
 グループって知っていますか。女の子、または昔女の子だったひとなら多分みんな知ってるはずだ。
 絶対の結束とルールで行動を制限する、女の子の仲良しグループ。みんなで仲良く遊んで勉強して、誰も率い出ることのないように見張りあう。そして自分が外されることのないように機嫌を取り合う。「仲良し」の輪に入ることで、または周囲に「私は輪の中の人間ですよ」とアピールすることで安心するシステム。輪に属さない女子は友達のいない落伍者の烙印を押されてしまう。誰からか?それは、輪に属した女子とバカな教師から。
 クラス替えをした初めに、わたしたちは間違えないようにグループを撰ばなくてはいけない。それはそのあと一年の自分を決めることだからだ。一度決まってしまうと、クラス替えまで変更はまず効かない。
 たとえば頭の良い子がリーダーであればまじめなグループ、派手な子が一人いればギャルグループというように、グループ内は一色のカラーに染まる。「同じカラーの子が集まる」のではなく、一人のカラーに影響されてみんなが染まっていくのである。はじめにどんなグループに入るのか、見極めるのが大切だ。間違えてあとから「違うな」と思っても、新しいグループに入りなおすことは困難なのだから。
 それに、小、中学校の授業って、やたら何人かで組ませることが多いのだ。いっそのこと席順とかで勝手に決めてくれれば良いものを、自主性を重んじるんだか自由を与えてくださってるんだか知らないが、とにかく教師はなんでもかんでも「はい、じゃあ好きな人と四人組みになって」とか言いやがるのだ。そんなときに、この「仲良しグループ」はここぞとばかりに団結力を発揮する。属していない子は必ずあぶれる。そうすると教師から「友達のいない子」というスタンプをぺたりと押されてしまい、いろいろと不名誉な目に合う羽目になるのだ。
 だから、わたしたちは細心の注意を払って「輪」から外れないようにする。これはまあ、大人になるための訓練と言えないこともない。わたしたちに「輪」はずっと付きまとう。結婚して仕事を辞めて子供を産んで、主婦になったら近所付き合いが世界のすべてになるんだもんね。好きな人とか自分と気が合う人ばっかり選んでられないもん。わたしたちは一生リーダーの機嫌を取って生きていくのだ。
 グループ内には絶対、力関係がある。
 大抵はわがままだったり気が強い子がグループのリーダーになる。あれって、自分でなろうとしてなるものなのかな。それとも、弱い人間は自然と強い人間を祀りあげてしまうものなんだろうか。
 で、リーダーと一番仲が良い子が二番目に強くて、ふつうの子がいて、いちばん弱い子ができる。どこに行くとか何をするとか、率先して決める子が一人いて、それとすごく気が合うふりをして偉ぶる子がいて、何をしても見下される子が絶対にいる。みんなでリーダーの機嫌を取り、最後の子を見下して輪を保つ。そうすると、自分が一番下ではないと感じて安心するんだ。
 麻衣子ちゃんのグループでは、わたしは二番めだった。
 ふつうにみんなと仲良くできて、特に喧嘩もしないでしばらくはうまくいった。その頃は、今いろいろ言ってきたこと、例えばともだち同士の力関係だとか決まりごとだとか考えたこともなかった。なんとかく感じてはいたけれども、正体を見極めようとしたことはなかったのだ。
 親しい男子たちもいた。高梨君と仲の良い南雲君のことが麻衣子ちゃんは好きだったから、わたしたちは高梨君たちのグループとよく遊んだ。
 ああ、あのころはとても楽しかった。
 放課後や休日、みんなでボーリングに行ったりカラオケに行ったり。健全な集団デートというやつだ。わたしは純粋に、男の子の友達も楽しいなぁなんて考えていた。まあ麻衣子ちゃんが南雲君を好きだというのは知ってたけどそれはまた別の話。わたしにとっては男子も女子もひっくるめて仲間という感じで、性的な差は一切意識しなかった。
 だから、高梨君から告白されたときにはほんとうにびっくりしてしまった。
 びっくりして、断った。だって、高梨君と遊ぶのはとても楽しかったけれど、お付き合いするとかそういう気持ちには全然なれなかったのだ。わたしは人と付き合ったこととかないけれど、恋人になったらキスしたり抱き合ったりするものだ。それを、高梨君とするっていうのはどうにも想像ができなかった。
 しかし、どうやらわたしと高梨君とは私の知らないところで公認のカップルだったらしい。
 わたしは、麻衣子ちゃんやグループの他の子や、南雲君から懸命に説得された。一度だけでも付き合ってみなよ、とか、付き合ってみなくちゃわからないじゃないかとか。お付き合いってそういうものなのですかね?
 少しだけ、意地にもなっていたと思う。そのときわたしは裏切られたような気がしていたのだ。高梨君とわたしの間にあった友情(ではなかったわけだが)にひびが入ったと思った。
 恋人になるより、また、もとのともだちとしてだべったり遊んだりするほうが全然楽しいと思った。そして、付き合わなければそういう関係のままでいられるのだと当たり前のようにわたしは思っていたのだ。じつにあさはかだった。
 麻衣子ちゃんたちの説得を振り切り高梨君の申し出を断った次の日の朝。
 昨日のことは忘れて(あげることにして)、今日はふつうに、自然に彼に接しようと私は思った。
「おはよう」
 隣の席の高梨君に声を掛けたが、高梨君はばつが悪そうにうつむいてしまう。
 これはまあ、仕方ないかと思う。わたしは心から彼の気持ちを考えられるほど大人ではなかった。
 なんとなく気まずくなったので、気にしないことにしてわたしは麻衣子ちゃんのほうへ近付いて行った。
「おはよう」
 返事は、なかった。
「?」
 ふと、まわりを見た。グループのみんな、なつみちゃんもリツコも、わたしと目が合うと慌てて逸らすのが解った。もの凄く嫌な予感がした。
「おはよう、麻衣子ちゃん」
 名指しで呼んでみた。
 麻衣子ちゃんはすごくつめたい目でちらりとこちらを見てからそっぽを向いて、わたしを無視した。
 ショックで足が震えた。疑いようがなかった。どうやらわたしは、一晩のうちに、ハブられることに決定されてしまったようだった。

 高梨君の申し出を断わった態度が傲慢に映ったのだろうか。いや、もしかしたらわたしは厭味で得意げな顔をしていたのかもしれない。していたつもりはなくてもそう見えたのだろう。
 それから一ヶ月以上経つけれど、麻衣子ちゃんのグループは誰一人としていまだに口を聞いてくれない。
 誰かがこっそり話し掛けてくれるとか、そういうのが一切ないことを考えるともしかしたらわたしはもともと好かれていなかったのかもしれない。麻衣子ちゃんとはついこの間、卒業しても親友でいようねと誓い合った仲なのに…女の子同士の友情ってそんなものなのかな。そうなんだろうな。
 私はどうしたら良かったんだろうか。好きじゃなくても、お付き合いさせて頂けばよかったんだろうか。そう言えば、あのとき麻衣子ちゃんは「ぜいたくだよ」と私に言った。確かに言った。せっかく告白してもらったんだから、文句言わずに付き合えよとそういうことなのかしら。ためしに付き合って、キスして、処女でもあげてから別れればこんなことにはならなかったのかな?
 一度付き合って、わざと高梨君に振られるようにしたら良かったのかな。いや、でも、それでも「振られるようなことをした」わたしが悪いことになるかもしれない。いくら想像しても、わたしがどうすればよかったのかが全然思いつかない。彼女たちの望むとおりにするならば、わたしは好きでもない男の子の気持ちを慮ってお付き合いして、飽きられるまで彼のお相手をさせて頂かなければいけないことになってしまう。
 結局、仕方のないことだった、とわたしは思うことにした。後悔しても遅いのだ。仮定をいくら想像しようと現実は変わらない。わたしはハブに決まってしまったのだから。
 それはもの凄く悲しくて悔しいことだったけれど、わたしはなるべく傷付いていないふりを装った。ショックを受けているとか、ハブられて泣いてるとか思われるのは嫌だった。
 できることなら「なかったこと」にしてしまいたい。わたしはもとから、麻衣子ちゃんたちと仲良くなんかありませんでした。こんなこと全然気になりません。傷付いてなんかいません。悲しくない。平気だ。わたしは、自分でそう思い込むように努力した。
 けど、いくら自分を騙しても、傷なんか見えないふりをしても、学校に来れば絶対に思い知らされる。
 いくら気にしないようにしても、現実にわたしはひとりだ。休み時間のたび、わたしはプレッシャーに押し潰される。一人でいることが麻衣子ちゃんたちを喜ばせてしまうと感じる。
 みちるちゃんとは、幼稚園が一緒でもともと少し仲が良かった。だから、今はみちるちゃんのグループに何気なく入るようにしている。でもやっぱり、わたしは「よそもの」だ。麻衣子ちゃんと仲が悪くなった経緯をちゃんと話すほうが良いのかもしれないけれど、それは嫌だ。なかったことにしたいのだ。気にしていないふりがしたいのだ。それに、同情してもらって仲間にしてもらうのなど、一人でいるよりも情けない。有り得ない。すごく嫌だ。
 私は、そして気が付いた。本当のともだちなどただの一人もいないのだと。
 だんだん、みんなに笑われているという妄想がわたしを蝕み始めた。
 そんなのは妄想だっていくら自分を説得しても、消えない。休み時間をひとりで過ごしてはいけないというキョウハクカンネンがわたしを焦らせて、緊張させる。
 ―――神様、わたしを助けてください。
 名前も知らない神様に、最近わたしは気がつくと祈っている。
 学校なんか、もう来なくてもいいように。わたしを助けてください、神様。
 祈って視線を上げると、天草百合子が視界に入った。彼女はいつも目障りな位置にいる。
 転校生。ちっとも友達が出来なくて、いつも一人。お母さんがシンコウシュウキョウに入っている。知っているのはそれくらいだ。
 いつも一人。
 わたしは違う。あれよりはまし、と思う。でも、あんなふうになったらどうしよう、と思うとこわい。
 ―――大丈夫。
 わたしはわたしに声を掛けた。大丈夫。みちるちゃんだって、優しいし。まだひとりじゃない。
 クラス替えまでは、あと数ヶ月。我慢しよう。大丈夫だから。

 昼休みが来た。
 毎日、この時間だけはほんとうに絶望的な気分になる。みんなががたがたと、一斉に机を動かし始めた。私は周りを見渡す。今日もみちるちゃんは一緒に食べてくれるだろうか。
 みちるちゃんはいつだって優しいけど、みちるちゃん意外の子が明らかに私を不思議そうに見るから不安になる。どうしてこの子ここにいるの?って、そういう目で。
 私の気にしすぎかもしれない。麻衣子ちゃんたちの一件から、私はものすごく臆病になった。
 いつも、誰かが私の知らないところで私を悪く言っている気がする。あのとき、朝来たら誰も私に答えてくれなかったあのときのように、私の知らないところで勝手に話が決まっている気がする。一体どういういきさつで、私をハブることをみんなは決めたのだろうか。どういう会話がなされていたのだろうか。私は、彼女たちの間で一体どういう子になっているんだろう。勝手に決め付けられて、言い訳もできない。
 わたしがいやな子だって、麻衣子ちゃんたちは言いふらすかもしれない。そうしたらみちるちゃんだってわたしを仲間に入れてくれなくなるだろう。いや、もしかしたらもう聞いているかもしれない。麻衣子ちゃんは、嘘をほんとみたいに話すのがうまいんだから。
 そんなことを考えていたら、気持ちが悪くなってきた。涙を堪える。もう帰りたい。
 ふと、視界の隅に、ぽつんと一人で食事をする天草百合子が映った。
 当たり前のように一人で、もくもくと箸を口に運んでいる。
 積極的に誰かに話し掛けるでもなく、彼女はいつも一人だった。お母さんは水商売で、お父さんはいないらしい。お母さんが宗教にはまったせいで離婚したのだという噂がいつの間にか広がっていた。
 天草は、遠足にも体育祭にも参加しなかった。転校生が一日も早く学校に慣れるように、と教師は参加を勧めたが、天草のお母さんが学校まで直訴に来たのだそうだ。宗教上の問題で、争いごとには娘を参加させられませんと。
 体育祭を争いごととはなんとも大袈裟な話だと思う。おかげで、娘はすっかり学校で孤立した。そりゃあそうだ。わたしは彼女と話したことはないけど、みちるちゃんの話だと彼女は笑っていいとももどらえもんも知らないのだそうだ。宗教上の理由で、「そういうテレビ」は彼女の家では一切見てはいけないらしい。
 たとえ自分や子供が孤独になっても、信仰を貫き通すっていうのはどういう心境なんだろうか。理解できない。それとも、神様さえいれば孤独でも平気なのか?
 だから天草は平気なのだろうか。
 いつも一人で、ハブられる友達すらいなくても。
 ―――あの子に比べれば、だいぶまし。
 大丈夫。あの子より、まだわたしのほうが可哀相じゃない。だって、お昼だってともだちと食べられる。
「あ、あの、みちるちゃん!」
 吐き気を飲み込んで、わたしはみちるちゃんに声を掛けた。
「お昼、一緒に食べていい?」
「あ…いいよ」
 そう答えたみちるちゃんの表情が一瞬迷惑そうに曇ったように見えて、わたしはその場に座り込んでしまいたい気持ちになった。
 大丈夫。大丈夫。だいじょうぶ。
 気付かなかったことにすればいい。だいじょうぶ。なんとかなる。痛くない。
 みちるちゃんのグループでは、あとでわたしのことを何て言うだろうか。
 それが物凄く気になってわたしはあたまがおかしくなりそうで、お弁当の味なんかは全然わからなかった。

 帰りのホームルームが終わった。
 立礼と同時に、わたしは駆け足で教室を出た。とにかく、一秒でも早く学校から出たかった。
 校門を出て人気のない路地に辿り着いて、わたしはようやくほうっと大きく息を吐いた。
 良かった。今日も乗り切れた。そう思ったらなんだか泣きそうになった。
 ときどき、なんのために毎日学校に通っているのだろうかと思う。
 休むのは怖い。なんで怖いのか始めはわからなかったが、最近解ってきた。休んでいる間にみんなに何を言われるかと思うと、怖いのだ。
 それに、一度休んでしまったら二度と行く勇気がなくなってしまう気がする。それは困る。高校入試のために出席日数だって大切だし、勉強にも遅れる。不登校になんかなったらパパもママも困るし、怒るし、心配するだろう。それは、私にとって憂鬱な問題を学校だけでなく家庭にまで広げてしてしまうことに他ならない。
 だから、私は、登校する。
 別に、逃げたくないとか負けたくないとか、そんな大層な意地があるわけじゃない。第一、私はいじめられているわけではない。この程度で不登校になんかなったら恥ずかしい。大袈裟だ。大丈夫。
 大丈夫。大丈夫だ。まだまだ。
「そう言えば最近、麻衣子ちゃん遊びに来ないわね」
 夕食の時間、無神経にもママがそんなことを言った。
 私は一瞬だけびくりとしたけれど、すぐに微笑みを作ることができた。
「最近、ちょっと喧嘩しちゃって」
 仲良くしてる、と嘘をつくのは気が引けた。
「まあ」
 ママが驚いた声を上げる。そこに、微かに咎める響きがあるのはなぜだろうか。
「そうか、若いうちは衝突もあるよな」
 パパが優等生的父親の意見を述べた。
「早く仲直りしなさいよ」
 やはり、友達とは仲良しこよしでなければいけないものらしい。わたしだって好きでこんなことしてるわけじゃないよ。
「うーん、そうだね。すぐ仲直りできると思うよ、親友だし」
 仕方ないので、私はそう言っておいた。
「先に謝っちゃいなさい」
 それはできません。
 あはは、とわたしは適当に笑ってお茶を濁す。
「青春だね」
 パパはそんなことを言って一人悦に入っている。だめだ。甘すぎる。
 女の子の喧嘩って、そんなものじゃないのだ。気が済むまで話し合って和解して、なんてそんな青春ドラマみたいなこと、有り得ないんだから。
 すべては、なかったことにされる。それがコドモの喧嘩だ。女の喧嘩だ。こっちが「どうして怒ってるの」と問い質したら、「別に、怒ってなんかいないわよ」と返されるのが関の山なのだ。
 しかし、これは「胸に手を当てて考えてみたら?」っていう意味で、本当に怒っていないということでは決してない。
 しかも、しつこくそのことについて話し合おうとすれば「被害妄想じゃないの?」と嘲笑される。
 つまり、私たち、別にあなたに悪いことなんかしてないわ、とすかされて終わりなのだ。あとは、泣いてもすがってもみっともないだけ。ましてや謝ろうものなら、「ほら見ろ」とばかりに寄って集って責め抜かれてプライドも何もずたずたにされるのだ。しかも、許されることは絶対にない。あとは堂々とシカトされるだけだ。
 彼女たちはわかり易いいじめはしない。自分達が悪になるようなことは絶対にしない。あくまでも、自分達は正義だと言い通す手段を知っている。
 だから、私にはなんの手立てもない。
 ただ一人辛さに耐えて、自己嫌悪に耐えて、気にしていないふりをするのが精一杯だ。
 食事を終えて早めにお風呂に入った。一人になったら今日一日のことが思い出されて、やっぱり少し泣いてしまった。
 学校は、嫌いだ。

 また、昼休みがやってきた。
 学校中のほとんどの人が喜んでいるのだろうこの時間。わたしにとっては、何よりも憂鬱で逃げ出したい時間。
 今日は、どうしよう。
 みちるちゃんは、今日は風邪でお休みだ。最悪だ。
 悦子ちゃんと真紀ちゃんは、今日は他のグループと一緒にご飯を食べている。もともと私は二人とはあんまり仲がよくないし、おまけに今日一緒のグループはほとんど話したこともない子たちだから混ざれない。
 …どうしよう。
 いつまでも立ち尽くして悩んでいては、目立つ。麻衣子ちゃんたちの思う壺だ。
 教室の外で食事をしてはいけないなんていう校則、どうしてあるんだろう。他のクラスや、校庭や屋上に行っても良いのなら、まだ救われるのに。見知った人間しかいない教室で、一人で弁当を食べるのがどれだけみじめか先生たちは知らないんだろうか。
 いじめを呼ぶのは規律だと、わたしは思う。
 こうでなければいけない。これが正しい。間違ったことはしてはいけない。その考えが、自分と少しでも違うものを排除しようという考えに繋がるのだ。制服も、髪型も、すべてに決まりがある。だからいけない。普通じゃないもの、常識的でないものを嫌えと大人が教えているから、子供たちはいつまでたってもいじめをする。
 こんな簡単なこと、コドモのわたしに解るのに、なんで偉いひとには解らないんだろうなあ。
 わたしはそんな考えにしばし現実逃避をして、溜息をついた。こうしていても仕方ない。
 しょうがない、今日は昼食は抜きにしよう。食事さえしなければ、昼休みにどこに行こうと勝手なのだ。
 誰も見ていないのに、わたしは用事のあるような演技をして教室を出た。背中に麻衣子ちゃんたちの笑い声が聞こえて、それはわたしとは全然関係ないことで笑っているのかもしれないけれど心がざわつく。
 天草百合子は、相変わらず一人もくもくと箸を口に運んでいる。
 彼女のようにはじめから一人だったら、まだましだったのかもしれない。

 教室を出ても、特に行くところなどは当然ない。
 おまけにご飯を食べないでいると、昼休みは長い。結局、どこにもわたしの居場所はないのだった。
 どうしようか。きりきりと胃が痛むのは、おなかが空いているせいだけではないと思う。
 どうしようか。当てはない。わたしはとぼとぼと廊下を歩いた。三階の廊下を下りて、二階。二階から一階、裏庭。ウチの学校は離れの校舎に図書室と美術室がある。
 その、離れへの渡り廊下で、天草百合子にばったりと会った。
「!」
 一瞬目が合って、わたしはどきりとした。
 しかし、天草はすいと目を逸らすとわたしを追い抜いて歩いていく。
「あ、あの、天草さん」
 その背中に、思わず声を掛けていた。
 天草は驚いた様子で振り返ったが、そのことにわたしはもっと驚いてしまった。
「…ええと、あの」
 どうしよう。なにかを話そうと思って声を掛けたわけじゃないから、そのあとの言葉が思いつかない。別に、ハブられ同士仲良くしようよとか、そんなバカなことを言いたいわけではなかった。なら何で、といわれると、困る。
「…なんですか」
 同級生なのに、敬語で彼女は答えた。言葉が少し訛っていて、イントネーションが違う。
「…」
 彼女は不思議そうに首をかしげる。彼女はわたしがハブられていることを知っているのだろうか。それとも、宗教上の理由でそんなことには興味がないだろうか。
「用がないなら、私、急ぐから」
「えっ、あの、どこに?」
 思わず言ってしまって、後悔した。ずうずうしかっただろうか。いや、ていうかお昼のお祈りをするとか言われたらどうしよう。
 しかし彼女は、とくに迷惑そうでもなく答えた。
「…図書室」

 わたしは、天草について図書室に入った。そう言えば一年の授業で使って以来、入ったことはなかった。
 図書室には、昼休みの始めだというのにまばらに人がいた。
 天草は慣れた仕草でたくさんの本が並ぶ棚を物色して、その中から一冊二冊撰んで席についた。わたしはどうしていいかわからずに、そのまま隣に腰を下ろす。
「…読まないの?」
「いやぁ、本って、苦手で」
 じゃあ図書室になんかついてくるなというものだが、天草はわたしをばかにしたりしなかった。
「ふうん」
 特に感情の篭らない響きでそう答えて、彼女はそのまま本を読み始めてしまった。
 わたしはさすがに途方に暮れて、仕方なく写真集やファッション誌などを見つけてきてぺらぺらとめくってみた。どうせ、ここのほかに行く場所なんかないのだ。
 しばらくして、天草が顔を上げた。
「面白い?」
 ファッション誌を目で指す。
「…あんまし」
「おせっかいでなければ、なんか選んであげようか。面白そうなやつ」
 わたしはすこし悩んだが、せっかくだから選んでもらうことにした。読めなければそこで断わればいい。天草も、隣で退屈そうにされているのが迷惑かもしれないし。
 天草は席を立ち、ふらふらと棚の間を彷徨ってすぐに戻ってきた。どこにどんなジャンルの本があるのか憶え尽くしているようだ。手には、薄い文庫が二冊持たれている。
「これ、たぶん面白いと思う。上谷さんの趣味に合うか、わからんけど」
 差し出された本を受け取って、ぺらぺらとめくってみた。大きめの文字で、隙間もあいている。うん、なんとか読めそうだ。
 それは、女性作家のエッセイ集だった。始めはせっかく選んでくれた天草に申し訳ないからというくらいのつもりで読んでいたのが、わたしはすぐに夢中になった。
 テンポのいい言い回しで、日常生活の疑問や怒りや、はたまたよろこびなどが書き綴られている。わたしは途中、三回くらい声を出して吹き出してしまって恥ずかしい思いをした。天草と目が合うと、彼女はなんとなく満足そうに微笑んでまた本に視線を落とす。
 気付いたら、昼休み終了時間間際になっていた。
 わたしと天草は、並んで図書室を出た。
「すっごい、面白かった。ありがとう」
 読みきれなかった一冊は、貸し出ししてもらった。図書室を活用したのは初めてだ。
「そっか、良かった」
 無言で隣り合っていただけなのに、彼女との距離が少し近付いた気がする。
 もしかしたら彼女はわたしが行き所がないのを知っていて、敢えて図書室に案内してくれたのかもしれない。
 わたしは、その日から図書室の常連になった。

 今日も、天草はなにやら難しそうな本を読んでいる。
 わたしはそれから少し離れた席に座る。天草とは、あれから特に仲良くなったという感じはない。教室で話したりはしないし、一緒に帰ったりもしない。ただ、時々声を交わすようにはなった。
 彼女は、気心も知れないうちからわざとらしく距離を縮めるのが嫌いのようだ。でも、わたしが拒否されることはない。礼儀正しく心地良い距離を保っている感じがして、なかなか良い。
 わたしはずいぶん図書室に詳しくなった。昼休みどころか、下手すると放課後も下校時刻間際までいることもある。
 図書室の常連たちとも顔見知りになってきた。大抵はおたくっぽかったりまじめそうな子ばっかりだけど、中にはどう見ても不良な子もいる。そんな子に限って難しそうな、分厚い本を読んでいたりするから面白い。
 でも、実はえっちな本を読んでいるのかもしれないな。これも最近知ったんだけど、図書室にあるまじめな本、いわゆる純文学とかって、結構えっちなんである。大人が書くとみんなそうなのかもしれないけれど、えー、こんなの中学校にあってイイわけ?と疑ってしまうようなきわどい描写の出てくる本ってすごく多いのだ。現国の教科書に出てくる本なんかもそう。意外で、驚いた。面白い。
 本を読んでいると、時間が経つのが早い。
 おかげで、昼休みは苦痛ではなくなった。一度遠慮してしまったからみちるちゃんのグループには入りづらくなってしまったけれど、これならなんとか卒業まで我慢できそうだった。相変わらず、麻衣子ちゃんたちはわたしを視界から追い出しつづけているけれど。そんなことは、もう期待しても仕方がない。
 真剣に「ブラックジャック」を読んでいると、図書室の扉ががらがらと開いた。わたしは反射的にそちらを振り返る。
 びくりと体が震えた。
 麻衣子ちゃんがいた。続けて、なつみちゃんとリツコも顔を出す。
 ―――ど、どうして?
 ここは、わたしの聖域なのに。
 どきどきして、汗が背中を流れるのがわかった。麻衣子ちゃんたちはずかずかと図書室に入ってきて、わたしの正面に座った。
「ちょっと、ルミ」
 麻衣子ちゃんがわたしを呼んだので、わたしは驚いた。どうしたことだろう。もう、シカトは終わったのかな?
 しかし、なぜか麻衣子ちゃんはわたしを睨みつけた。
「あんたが最近教室から逃げるから、さっきあたし先生に呼び出されたわよ。仲良くしてあげなさいって」
 ―――え?
「信じらんない。どーしてそういうことできるの?凄い卑怯。何で、何にも悪いことしてないあたしたちが怒られなきゃいけないのよ」
 事情を理解するまで、時間が掛かった。
 どうやら、わたしが最近ひとりで図書室にいるから、先生が同情して余計な気を利かせてくれたようだった。つまり、仲良しだったはずの麻衣子ちゃんたちに「仲良くしてあげなさい」と注意したと。麻衣子ちゃんは学級委員でもある。
 ―――余計なことを!
 わたしは、怒りと恥ずかしさでかっと顔に血が上るのを感じた。
 別に、わたしは先生に麻衣子ちゃんたちを怒ってほしくて図書室にいるのではない。
 ましてや、同情してほしいわけでは決してない。わたしは可哀相なんかじゃないんだ!
「あんた、今までみたいに教室にいなさいよ。じゃなかったら学校くんなよ」
 麻衣子ちゃんが、わたしに顔を寄せて、低い声で凄んだ。
 微かに手が震えた。こわいからじゃない。怒り。わたしは、怒りを感じている。でもどうしたらいいのか解らなかった。人に対して怒ったことなんかあんまりない。どうやって表に出したらいいのか手段がわからない。
「うるさい。喋るなら、外で喋って」
 きっぱりとした声が聞こえて、我に返った。
 声の主は天草だった。麻衣子ちゃんが、天草を睨みつける。
 しかし天草の言い分が正しいのに気が付いたのか、すぐに麻衣子ちゃんは立ち上がった。
「わかった?ルミ」
 立ち上がりざま、わたしに念を押す。
 わたしは無視した。
「わかったのかよ」
「わたし、本読んでるの。邪魔しないで」
 わたしは麻衣子ちゃんを睨み付けて、静かな声でそう言った。
「なに―――」
 大きな声を上げた麻衣子ちゃんを、なつみちゃんが制した。
 室内で本を読んでいた全員が顔を上げて、非難の目で彼女たちを睨んだからだ。
「ちっ」
 バカにする目でわたしを見下ろしてわかり易い舌打ちをし、彼女たちは図書室を出て行った。
「…は」
 わたしは、ほっと息を吐いた。
 麻衣子ちゃんに口答えしたのは初めてだ。これで、二度とともだちには戻れなくなってしまった。
 でも、別にもういいや。
 そう思えたのが、不思議だった。

「ありがとう」
 昼休みの終わり。図書室を出る天草を追いかけて、わたしはそう言った。
「…べつに。ムカついたから」
 天草は当然のようにそう答えた。
「いや、それにしても、あの麻衣子ちゃんによく言ったよ。わたし、あれで勇気出たもん。ありがとう」
「学級委員がどういう人かは知らんけど、性格良いとは言えないね。まあ、上谷さんの友達あんまり悪く言っちゃ悪いけど」
「いや、もー友達じゃないから。ていうか多分最初から友達じゃなかったのかも」
 わたしがそう言うと、よく言った、というように天草は微笑んだ。初めて彼女の笑顔を見た気がする。わたしは嬉しくなった。
「ねえ、天草さん」
 今なら聞ける、とわたしは思った。
「天草さん、どうして平気なの?」
 ん?と、天草は首をかしげた。わたしは続ける。
「一人でごはん食べるのも誰かの話に混ざれないのも、わたしは凄く怖かったよ。天草はどうして平気なの?宗教に入ってるから?」
 失礼かもしれないが、それが、ずっと聞きたいと思ってたことだった。
 天草百合子は、強い。その根源がどこにあるのか。わたしとなにが違うのか。わたしはずっと知りたかった。
 天草は、ふっと笑った。
「宗教は、アレ、お母さんの神様やから私には関係ないねん。お母さんはそうは思うてないみたいやけど、私はあんなん嫌い。好きな本もまともに読めん」
 テレビも見れない、とみちるちゃんが言っていたのを思い出した。
「…じゃあ、どうして平気なの」
「さあな、どうしてかな。ま、ウチは家のほうがもっとめちゃくちゃやから、学校のほうがなんぼか居心地ええとは思うな」
 あんなんでも?という言葉を、かろうじて飲み込んだ。
 あんなんでも、家よりまし?誰とも話せない、あんな状態でも?
「上谷さんは、アレや、もともとがしあわせなんやな。バカにしてるんと違うよ。ただ、私は考えることが多すぎて、休み時間に一人でも全然気にならん。バカ騒ぎして、忘れたら楽かもしれんけどなー」
 そう言った天草は、私よりもずっと大人に見えた。
「…おうち、大変なの?」
「うん、まあ、大丈夫や。うちのお母さんは弱いひとで、宗教がないと生きていけれんのやね。自分を信じれんから、なにかに許してもらわないとやってられないみたい。そんなの、私がいくらでも許してあげるのにねぇ」
 自分を信じられないから、何かに許してもらう。
 なんとなく解る気がした。たぶん、天草のお母さんは不安なのだ。誰かが、自分を笑っているように感じるのだ。妄想だと解ってても拭えない。
「お母さん、不安なんだね」
 わたしも不安だ。誰かに許して欲しいと思ってた。今は少しだけましだけれど。
「自分で自分を信じられたら、宗教なんていらんねん」
「ねえ、じゃあ、神様って、いないと思う?」
「私の神様は私の中に、上谷さんの神様は上谷さんの中に。裁くのも許すのも、自分で決めたらええ」
 天草の言うことは、ちょっと難しすぎるとわたしは思った。もっと本を読めば、天草と対等に話が出来るようになるのかもしれない。
「かっこいいね」
「そんなんじゃ、ないけど」
 天草は、自分で自分を信じているのだろうか。わたしにはまだ時間が掛かりそうだ。
 いつか、天草とはほんとの友達になれるかもしれない。なれるといいな、とわたしは思った。

「おい、上谷」
 その日の放課後。教室を出たわたしを、高梨君が呼び止めた。
「待てよ、上谷」
 わたしは立ち止まった。
「…なに?」
「どこ行くんだよ」
 なんで、今更そんなことが気になるのかな。
「図書室」
「何しに」
 図書室には本を読みに行くに決まっている。
 しかし、高梨君はわたしの答えを必要とはしていないみたいだった。その証拠に、続けてこう言う。
「昼休みのこと、聞いたぞ」
 誰からどういうふうに聞いたのか。別にいいけど。
「あんなことしたら、明日からもっと辛くなるじゃないか」
 わたしには高梨君の言いたいことが全然わからなかった。いや、言葉の意味は当然わかるのだけど、高梨君がなぜ今になってそんなことを言い出すのかがわからなかった。
 どうせ気を使うならもっと早く使うべきなんじゃないのかな。
 でも、正直に口にしても面倒なだけだと思って、結局こう答えた。
「べつに、大丈夫。高梨君のせいじゃないから、気にしないで」
「そうはいかないよ。俺のせいじゃないか」
 どうやら、自覚はあるようだ。
 ならばなおさら、もっと早くに話してほしかったな。あんなふうに、自分までしかとするんじゃなしにさ。
 もういいよ、と言おうとしたわたしは、しかし次の彼の言葉を聞いてびっくりした。
「あのさ、俺と付き合ってることにしろよ」
 なんの冗談かと思ったが、どうやら彼は真剣なようだ。
「…なんで?」
「だから、昼飯とか、俺が一緒に食ってやるよ。俺の責任もあるし。ほんとに付き合うとかじゃなくてさ。そういうことにしとけば、多分みんなまた話してくれると思うしさ」
「…」
 わたしは、高梨君の顔をじっと見た。
 どうやら、ほんとのほんとに真剣なようだ。
 同情してくれたのだ。わたしが、ひとりぼっちだから。
「な、上谷」
「…高梨君が、一緒にお弁当を食べてくれるんだ?」
 わたしは、ゆっくりと確認した。高梨君が頷く。
「上谷が、その気なら」
「押し付けがましいね」
 わたしの言葉に、高梨君の顔色が変わった。
「わたし、別に一人でもいいの」
 何か言おうとする高梨君を制して、わたしはきっぱりと言う。
「このくらいで絶交するともだちなんて、初めからともだちじゃなかったんだと思うよ。だって、わたしは悪いことしてないもの。だから、許していただく気なんかぜーんぜんないの。もういいの」
 ともだちだと思ってた、友情だと思ってた、あれはにせものだった。
 それをわざわざ取り戻すために、好きでもないひと(おまけにわたしを見捨てるひと)と付き合うふりなんかしたくない。
 今更高梨君と二人でお弁当を食べるくらいなら、昼食抜きで本を読んでいたほうがよっぽど楽しい。
「…ひとがせっかく、譲歩してやってんのに」
 怒りの滲む口調で、高梨君はそう言った。
 譲歩?付き合ってくれってこっちが頼んだわけでもないのに、おかしいね。
 でも多分、彼は本気でそう思っているのだろう。仕方ない。価値観が全然違う。
「もういいよ。わかったよ。ずっとハブでいろよ」
 くるりと背を向ける高梨君の背中を見送って、わたしは図書室へと急いだ。
 これで、いいのだ。しかたないのだ。
 また、いつ裏切られるかとびくびくしてオトモダチごっこを続けるのなんか、もうごめんだ。
 一人でいるのは勇気がいるけれど、それは決して寂しいことでも悪いことでもない。
 わたしがわたしらしくいるために、必要な勇気。
 裁くのも許すのも自分で決めるんだもの。
 わたしのなかにかみさまがいるから。
 天草の言葉を思い出して、わたしはひとりで笑った。




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